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「つながり」について再び

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 ビルと排気ガスの道路に囲まれた
 都心の植物園でも
 自然の営みは続いている 
  
 
 /小石川植物園:2006年春

 
 
 
 
感じたり考えたりしたことを、とりとめもなくつらつらと・・・
 
 
 
先日の自然学校と環境教育に関するシンポジウムで、
「ESD(持続可能な開発のための教育)」という言葉の他に
「環境教育推進法」という言葉を聞いた。
 
シンポジウムでは、企業も個人もあらゆる人がその対象となると聞いた。
 
 
いったいそれは、何だろう?と調べてみた。
  
   環境の保全のための意欲の増進及び環境教育の
   推進に関する法律(環境保全活動・環境教育推進法)
 
     地球温暖化や廃棄物問題、身近な自然の減少など、
     現在の環境問題を解決し、持続可能な社会を作っていくためには、
     行政のみならず、国民、事業者、民間団体が
     積極的に環境保全活動に取り組むことが必要です。
 
(環境省ホームページより http://www.env.go.jp/policy/suishin_ho/index.html)
 
 
「持続可能な社会」という言葉は、エコロジーの関係か何かで聞いたことがあったが、
こんな決まりがわが国にできていたとは知らなかった・・・。
 
 
普及用パンフレット(http://www.env.go.jp/policy/suishin_ho/pamph_suishin.pdf)を見たら
 
  「つながり」に気づき、あなたから始めよう
 
というキャッチフレーズがあった。
 
 
 
 
そっか・・・
このブログのカテゴリーの1つ「人と自然・世界・そして…」、
私が関心を持っていきたいと思っていたことの1つが、
そこでいう「つながり」に近いのかもしれないと思った。
 
 
 
 
しかし、「つながりに気づこう」とお題目を唱えたって、
今はそれが難しい世の中だ。
 
「自然」と「人の暮らし」が離れすぎてしまっている。
暮らしの中に自然が少なすぎるから、
自分の行いが自然にどう影響するかもわかりにくいような気がする。
  
離れているから求めたくなり、
連休ともなるとあちこちに渋滞が起こり、排気ガスにまみれて、
みんなわざわざ自然に出会いに出かけていく。
 
私だって、身近に自然はある方だが、それだけでは満足できず
わざわざ「自然学校」に通う。
 
昔にもどれとは言わない。
だけれども、今みたいな暮らし方で本当にいいのだろうか?とも思う。 
 
 
 
 
先日のシンポジウムで聞いたのだが、
今、「自然学校」(というそのものの看板をあげていないものも含む)は、
世界的に増えているのだそうだ。
 
先進国だけでなく、途上国にさえあるという。 
それだけ、“人間にとって”自然と暮らしが離れてきてしまっているのだろうか?
 
 
 
 
また、国内の過疎地や里山など自然が豊かなところに住んでいる子どもたちは、
案外自然と触れ合っていないのだそうだ。
 
身近に自然があっても、自分が関心を持たない限り、
自分とはつながらないのかもしれない。
 
 
 
 
そんな時代だからこそだろうか、
明治・大正時代に提唱され、当時は早すぎたであろう自然との付き合い方が
今見直されてきているという。
 
昨日たまたま見たテレビ番組で、それを知った。
岡崎文吉という治水技術者の「自然主義」という考え方だ。
 
簡単に言うと、川は本来蛇行する性質を持っている。
それをまっすぐにしてしまうのではなく、
本来の川の性質をそのまま活かし、
決壊しやすい不都合なところにだけ人工的に補強をする。
という考え方だ。
 
http://www.c-museum.jacic.or.jp/c-museumn/ijin/ijin01.html
http://www.taisei.co.jp/cmtime/column/tachi/2006/0302.html
 
当時、石狩川でその実験が行われたが、その後日本にほとんど広がることはなく、
後に海外で評価され、今日、自然水理学として高い評価を受けているという。
世界でも有数の大河川ミシシッピ川の治水工事手法として採用され、
アメリカでは今もなおその手法での事業が行われ続けているらしい。
 
自然を支配するのではなく、
自然の特質をわかった上でうまく付き合う知恵が、
こうやって受け継がれてきているのはすばらしい。
 
 
 
 
知恵が受け継がれていくといえば、またシンポジウムでの話に戻るが、
こんな話題も出てきた。
 
山村のおじいさんおばあさんは、
あと20年もしたら大半がこの世からいなくなってしまう。
それまでに誰かが受け継いでいかないと、
古くから(ものによっては縄文の時代から?)培われてきた
暮らしの知恵・自然と共生する知恵が永遠に消えてしまうかもしれない。
(伝統・文化などもそうだろう)
 
実際にそういうことはすでに起こっている。
 
私が好きな沖縄の離島では、
過去に繰り返された強制移住や、戦争マラリア、産業の変化などにより
脈々と歌い継がれてきた「うた」の多くがすでに失われてしまっている。
 
祭りの出し物も過去の記録と照らし合わせると確実に数が減っている気がする。
人が足りないからだ。
農耕儀礼も簡略化されてきた。
それでは生きていけない経済サイクルに飲み込まれたからだとも聞く。
後継者不足で祈りの言葉が消えていく。 
方言を話せる人も減ってきているという。
 
今年の夏もそこを訪れる予定だ。
部外者であるが、おせっかいながらも何かしたいという気持ちにもなる。
 
 
 
 
「つながり」、「つなげる」、「つながる」、「うけつぐ」・・・このところいろいろ考えさせられる。

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