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2007年11月06日

映画「めがね」

sImg_9068t.3.jpg 肩の力を抜いて
 自分を縛るものから
 自分を解き放とう

 そして、海を見つめよう
 
 /ニシ浜 : 2007年秋 波照間島

 
 
 
 
「めがね」という映画を見てきた。
(公式サイト http://www.megane-movie.com/)


  「豊かさ」 「自由」 「自分であること」・・・
 
鑑賞後に、そんなキーワードがほわんほわんと、
心の中に浮かぶような映画だった。  


とある南の島の、「ハマダ」という民宿に出入りする人たちは、
「たそがれる」ことの名人のようだ。

「たそがれる」
・・・「夕方になる」とか「人生の盛りを過ぎる」という意味があるようだが、
この映画ではまた別の意味があるような気がした。
 
なんていうのかな・・・
「肩の力を抜いた状態、力んでいない状態」のようなイメージを
私は持った。
 
  
映画に出てくる食事のおいしそうなこと!
何も考えずただその美味しさを味わうようにいただく様子は、
食べること生きていることの喜びそのもののようにも見えた。
 
 
この映画が伝えたいこと・・・
 
それは多分、エンディングの歌のメッセージだと思った。

それはまた、映画の中で、よもぎ君が、
彼自身のたそがれの旅を一度終えて日常に戻る時に、
海に向かってドイツ語で語った詩でもある。
(ネットで調べたら、エンディング歌のドイツ語訳らしい)
 
 
 
  大地も人も 愛しく
  すべてがここにある
  そして自由に生きている 
  私がここにいる
 
      『めがね』
      作詞=太田恵美/大貫妙子
      作曲=大貫妙子

 
 
映画を見て、もう1つ思い出したこと・・・
「めがね」の中の人たちは、このジョークのメキシコ人の人みたいだと思った・・・。
 
 
「エスニック・ジョーク」といわれているものの中の1つだ。
 (Wikipedia :キーワード「エスニック・ジョーク」より)
 
 
「得られる物」

メキシコ人の漁師が小さな網に魚をとってきた。その魚はなんとも活きがいい。

それを見たアメリカ人旅行者は、「すばらしい魚だね。どれくらいの時間、漁をしていたの」と尋ねた。

すると漁師は 「そんなに長い時間じゃないよ」 と答えた。
旅行者が 「もっと漁をしていたら、もっと魚が獲れたんだろうね。おしいなあ」と言うと、
漁師は、自分と自分の家族が食べるにはこれで十分だと言った。

「それじゃあ、あまった時間でいったい何をするの」 と旅行者が聞くと、漁師は、
「日が高くなるまでゆっくり寝て、それから漁に出る。
戻ってきたら子供と遊んで、女房とシエスタ(昼寝)して。
夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、歌をうたって…
ああ、これでもう一日終わりだね」

すると旅行者はまじめな顔で漁師に向かってこう言った。
「ハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得した人間として、きみにアドバイスしよう。
いいかい、きみは毎日、もっと長い時間、漁をするべきだ。
それであまった魚は売る。お金が貯まったら大きな漁船を買う。
そうすると漁獲高は上がり、儲けも増える。
その儲けで漁船を2隻、3隻と増やしていくんだ。
やがて大漁船団ができるまでね。
そうしたら仲介人に魚を売るのはやめだ。
自前の水産品加工工場を建てて、そこに魚を入れる。
その頃にはきみはこのちっぽけな村を出てメキシコシティに引っ越し、
ロサンゼルス、ニューヨークへと進出していくだろう。
きみはマンハッタンのオフィスビルから企業の指揮をとるんだ」

漁師は尋ねた。
「そうなるまでにどれくらいかかるのかね」
「30年、いやおそらく25年でそこまでいくね」
「それからどうなるの」

「それから? そのときは本当にすごいことになるよ」 と旅行者はにんまりと笑い、
「今度は株を売却して、きみは億万長者になるのさ」

「それで?」

「そうしたら引退して、海岸近くの小さな村に住んで、
日が高くなるまでゆっくり寝て日中は釣りをしたり、
子供と遊んだり、奥さんとシエスタして過ごして、
夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、歌をうたって過ごすんだ。
どうだい。すばらしいだろう」
 
 
 
 

本当の豊かさって、なんだろう?

本当の自由って、なんだろう?