Takayo.biz:つながり:HOME > テーマジャンル「「わたし」と心、心と身体」のコラム

メイン

2007年09月15日

地の音、風の音、天(宇宙)の音

post44.jpg 風の音・波の音
 そして、
 過去から連綿とつながる
 祈りの声が
 島を包み込む・・・
 

 南風(パイカジ) : 2006年夏 波照間島 
 
 
 
 

映画「地球交響曲第六番 ~全ての存在は響き合っている ~」と
ミニコンサートの夕べに出かけてきた。
 
第六章のテーマは「虚空の音」。
 
音の表現者たち、音の追及者たちによる
様々な音が紹介されている。
 
また、その人たちの生き方、音についての考え方、感じ方などが
本人の語りによってなされ、映画は進行していく。
 
 


続きを読む "地の音、風の音、天(宇宙)の音" »

2007年04月06日

よりよい人間関係ワークショップ第2回目

post36.jpg
 

 あなたとわたし
 似ているところもあるし
 違うところもあるよね

 /バラ園にて : 2005年初夏 向ヶ丘遊園
 
 
 
今回のテーマは
 
  「人とのかかわりの中で『わたし』に気づく」
 
 
 
 
今回からの新しい人も参加し、
2つのコミュニケーションを必要とするグループワークを通じて、
 
・自分自身に対するイメージと、他者から見た自分のイメージは
 一致するところもあるが、違うところもある
 
・自分と人とは似たようなところもあるが、
 違う視点、考え、価値観も多く持っている
 
ということを、実感していただきました。

続きを読む "よりよい人間関係ワークショップ第2回目" »

2006年06月26日

いつもと同じ道で味わう、不思議な気分

post12.jpg

 洞窟から見た外の世界は
 とても新鮮に見えた


/火山性洞窟(青樹ヶ原樹海):2006春







ここ2~3ヶ月、特に先週1週間、
日頃いかにパターン化された硬直したものの見方をしているのかを
突きつけられるようなできごとと、
それにまつわって不思議な気分を味わう体験が続いた。

 


このところ、何年も歩きなれている道で、
今まで気づかなかった木々の存在が目に入るようになった。

この春、もっと自然とのかかわりを深めたり、自分の感覚を磨くために、
ネイチャーゲームのリーダー資格を取ったり、自然学校に通っていて、
木々への関心が高まってきているせいだろうか?

毎日歩く道ではないが、この地に越してきて5年。
木々はそのころからずっとそこにいたはずなのに、
風景の一部としてしか見ておらず、
その木の個性までまったく認識していなかった。

木の名前を覚えたり、観察したりして、その「個性」に気がついた後、
いつも歩きなれている道を歩いてみたら・・・

「ホウ」「カツラ」「コウゾ」「アオキ」「グミ」など、
自然学校の森の中で見たのと同じ仲間の木が、
それぞれが個別の存在として認識でき、
私の近所でも生きていることに初めて気がついたのだ!

そうなると「いつもの道」なのに、「いつもと違って」見えるから面白い。

 


ある駅のホームにて。

クリの木には雄花と雌花があり、雌花はイガの赤ちゃんになるのだと、
今月の自然学校で学んだ。
その時見た雌花は直径5mmくらいだった。

その駅のホームのフェンス越しに、すぐ目の前にクリの木がいくつかあった。
今まで、それらがクリの木だとはっきり意識したことはなかった。

じっくり見てみると、直径1.5cm~3cmほどの若葉色の柔らかいトゲをまとった
イガの赤ちゃんがたくさんついていた。

もうすでに、実りの秋に向けて自然は着々と準備を進めている。

私にとって○○駅はただの乗り継ぎの駅ではなく、
クリの木の生長が観察できる、季節の移り変わりを感じることのできる駅となった。

 


月1回ペースで行くある建物の部屋。
月1回といってもそこへもかれこれ5年近く通っているから、かなりの回数になる。

その部屋の壁は、単なるグレーの壁だとずっと思っていた。
先日、よく見ると壁ではなく4枚の扉になっている。
そして、小さく「配電盤(だったと思う)」と書かれている。

そうだったのか!
この部屋のこの壁の向こうには、まだ別の空間があるのか!

たったそれだけのことだったが、どうして今まで気がつかなかったのだろう?
よほどそこに無関心だったのか。
部屋の風景の一部としてしか認識していなかったのだろうか?

壁だと思っていたところが扉だったと意識し、
その部屋の向こうにまた別の空間があると認識して、
あらためてまじまじとその部屋を見ると、いつもと違った風に見えてきた。

 


こんな体験をするたびに、なんとも表現しがたい「不思議な気分」を自分の中に感じた。

それと似たような体験が、7~8年も前にもあった。

 


カウンセリングスキルを学ぶのと自分の問題をクリアにするために
カウンセリング養成学校で「クライエント体験」をしていたときのことだ。

自分の問題や抱えるテーマについて気づきが深まっていった頃、
やはり言葉では表現しがたい「不思議な気分」に襲われたことがあった。

それを、カウンセラーに話すと、
「その気分をしっかり覚えておきなさい。
 カウンセリングのプロセスではそういうことが起こることがあるから。」
と答えたことを思い出した。

 


今回の様々な体験と照らし合わせて、この「不思議な気分」はいったい何なのか、
私の勝手な解釈をしてみた。

どうやらそれは、自分の中での
 「ものの見方が変わったとき」
 「頭の中の地図が書き換えられたとき」
 「気づきを得たとき」
などにわき起こることがあり、
しかも、「あ!そうか!」と自分でわかったり説明できるレベルと違い、
「言語化できない深いレベル」で何かが変化したのではないだろうか?

そんな風に考えられないだろうか?

 


ひとことで「カウンセリング」といっても、その世界はとても広く深い。
私自身まだまだ勉強不足のところもある。

どなたかこういう「不思議な気分」について研究している人や著作を知っている人がいたら、
情報を寄せていただきたいと思う。

2006年06月19日

生きてきた証(あかし)

post11.jpg

 幾度もの噴火を重ね
 今の美しい姿になった


/夕暮れの富士山(江ノ島より):2003初秋







今日は月に一度のカウンセリング・グループスーパービジョンの日だ。
スーパービジョンの時もあれば、
その時出されたテーマをカウンセリングの観点から語り合うゼミのような時もある。


今回は、ご指導してくださっている二人の先生の片方が、
もう片方の大先生に対して投げかけた質問で盛り上がる。

  一つのケースに対して様々な技法や理論を持った複数の人が見立てると 
  時に互いにまったく違う、場合によっては相容れないような
  アプローチの方法が出てくることもあるが、
  それに対してどう思うか?

それに対し、大先生(80代のおじいちゃん:失礼!)は、
人生を積み重ねてきた人ならではの
深みのあるまた非常に柔軟な視点で話をしてくださった。
(おおよそ以下のような意味だと私は受け取った)


  自分が学んできたもの、自分のスタンスから見ると
  違っていたり相容れないものであったとしても、
  突き詰めていけばそこに共通点が見られる場合もある。

  自分のスタンスや持っている知識・経験だけにこだわると
  他の様々なものの見方ができなくなる危険がある。

  簡単に「正しい/間違っている」「合う/合わない」と判断せず、
  そこから湧きあがってくる疑問やモヤモヤしたものと
  向き合うのも大切ではないだろうか。


なるほど、もっともだ。

様々な技法や理論は全て、「人間」をそれぞれの角度から見たものであり、
見る角度が違ったら見え方は違って当然だが、
それらの本質は「人間」という共通したものであるから
突き詰めていくとどこかに接点や共通点があるのだろう。



ひとしきりこの話題が終わった後、別の人がその大先生に尋ねた。

  「先生は、とても柔軟な方ですが、どうやったらそんな風になれるのでしょうか?」と。

先生は答えた。

 「そういわれても自分では自分ことはよくわからない。
  1日2日でこうなったわけでなく、人生のどこかにきっかけはあるのだろう・・・。」

それから、先生の自己分析が始まった。


幼い頃の家庭の中での自分の役割、
友人たちとの付き合いの中でしらない間に決まっていった自分の役割、
カウンセリングを通して身につけてきた「カウンセリング・マインド」も
影響しているだろう・・・などなど。

お話を聞いていると、
まさに今までその先生が生きてきた積み重ね、経験の積み重ねによって、
今目の前の姿があるのだということがよく伝わってきた。


80を越えても、自分の限界を認識するにとどまらず、
まだあるであろう可能性を信じそれを花開かせるために、
日々ワクワクした気持ちを自家発電しながら生きて行きたいと熱く語られる言葉には、
思いがたくさん詰まっていた。

そこにもまた、この先生の「生き様」を垣間見た気がした。


一般論的な講義では物静かな淡々とした調子だが、
先生個人の価値観、思いを語ってくださる時は別人のように饒舌に熱くなる。

様々な経験談、熟された知識や知恵を、あふれんばかりに語られる時、
本当にイキイキとされている。

これからもぜひ長生きして、私たちにたくさんのことを伝えていただきたい。
たくさんのことを先生から学びたい。

そして私も、
それまでの生き様や生きてきた証に責任と誇りを持って
いずれ出会うであろう意思を継ぐ人たちへ伝えられるような人になりたい。

そんな気持ちになった一日だった。

2006年06月04日

記憶と自己イメージ

post10.jpg

 広がる波の 彼方から
 何が呼ぶと いうのだろう

(「GO!GO!トリトン」作詞:林春生)
/波照間島:2004夏





まったりと起きた日曜の朝、朝食を食べながらたまたまつけたCSテレビで、
手塚治虫の「どろろ」という白黒アニメをやっていた。


  (この番組は、私の記憶にない。
   しかし、白黒で絵も動きも単純だが、今日のストーリーは大人でも充分に楽しめる脚本で
   人間の心の闇、狂気をうまく表現していた。次回も見たいと思ってしまった。)



「こんな昔のアニメをやるのだったら“海のトリトン”が見たいなぁ」と思っていたら、
「どろろ」の次に、偶然にもトリトンが始まった!





歌が好きなんですよ!このアニメ。
といいつつ、実のところストーリーは全然覚えていない。
トリトンという少年と、白いイルカが登場するということくらいの記憶。


しかし、歌が始まったら、それにあわせて
おぼろげな記憶をたぐりよせながら自然と口ずさんでいる自分がいる。


  歌詞はこちら 
    http://www.jtw.zaq.ne.jp/animesong/u/toriton/gogotoriton.html

  ストーリーはこちら
    http://broadband.biglobe.ne.jp/store/anime/toriton/



番組前段のあらすじを見ていると、
どんどんと忘れていた記憶がよみがえってきた。


トリトンがアトランティス大陸と関係のある人物だったとか、
悪役が「ポセイドン族」という名前だったとか、
持っている短剣は「オリハルコン」という名前だったとか、
イルカの友だちにはいろんな性格があったとか・・・





そういえば子どもの頃は、アメリカか何かのテレビドラマで
「アトランティスから来た男」といったタイトルの番組もあったことも思い出した。


アトランティスや、ムー大陸ってどんなところだったのだろう?と、
子ども心に胸ときめかせ想像しようと試みたものだ。
あの時代、世界的になぞの大陸ブームだったのかもしれないとも考えてみた。


この主人公、「気をつけ」の姿勢のように手を両脇に添え、両足を閉じたまま、
身体だけバタフライのようにウネウネと波打たせるという不思議なフォームで泳ぐのだ。
プールでよくマネをしていたが、もがくだけで全然前へ進めなかったという
おバカな記憶までよみがえってきた。





そんなことをブツブツ言いながら見ている私にオットが言う。
「壮大なスケールのものって好きだよねぇ・・・」


言われてみればそうかもしれない。
その先に世界があるのだろうかと想像力をかきたてさせるような
冒険心をそそのかされるような風景や詩や物語が好きかもしれないとふと思う。


今日だって「水平線の終わりには・・・」の歌詞が始まったら
「おぉ~」とか言いながらニコニコして正座して姿勢を正していたり、
日頃も「万里の長城を歩いてみたい」とつぶやいたり、
「独身時代マチュピチュに行きそこなったのがいまだに残念だ」と思い返したり
「男だったらバイクでアメリカ大陸縦断したい」と言ってみたり、
振り返ると秘境への旅が結構好きだったり・・・





北アルプスなどの登山をやりたかったのは、
「アルプスの少女ハイジ」の
高山のお花畑やハイジの暮らしに影響を受けたからだという自覚はあり、
海か山かといえば、私は「山派」人間だと、数年前まで思っていた。


しかし、沖縄に行ってからは、「海」もいいなーと思い始めていた。
記憶をたどると、実は昔から航海モノの物語も好きだったのだと、今回再確認した。


  オススメの航海モノファンタジー

    ●「影との戦い」(ゲド戦記1)
     (その後のシリーズもいつか読んでみたい!
      この夏、スタジオジブリが映画化するらしいから、楽しみだ)

    ●「朝びらき丸東の海へ」 (ナルニア国物語)


実は、ここ数年熱を上げている「波照間島(沖縄県竹富町)」も、
小学生の頃、国語の教科書に載っていた灰谷健次郎の「太陽の子」で
その島の名を知って以来ずーっと
時々思い出しては「いつか行ってみたい」と思っていたのだった。


数年前、初めて沖縄(本島)に行って、
心の隅に残っていた「あの島へいつか行ってみたい」という思いが再燃し、
「実際に行く」というアクションを起こすに至った。





忘れていたこと(無視していたこと、ふたをしていたことも含む)を思い出すことで、
自己イメージ(自分で自分をどうとらえているか)が変わることがある。
行動が変わることがある。


カウンセリングでも、そのようなアプローチがある。


たとえば、自分のある性格傾向に引っかかってそこに視点が集中して視野が狭くなり、
自信を失っている時、
そうでない部分や力もあることを思い出すことで、気持ちが楽になることがある。


キャリア・カウンセリングで、
今までの職業経験や人生経験の棚卸しをすることにより、
自分が忘れていた経験や能力を思い出すことで、
自分に自信や力ややる気がよみがえり、力強く動き出すことがある。





他者に対してもそうだ。


内観療法といわれるものでは、
親や他者に対して、「していただいたこと」「して返したこと」「迷惑をかけたこと」を
思い出していくうちに、
その相手への感謝の気持ちや、その相手から大切にされていた実感がよみがえるという。


わだかまりのある親子関係や夫婦関係でも、
相手から愛されていた証を思い出すことで、
それまで抱いていた相手への怒りや様々な暗く冷たい気持ちが氷解し、
関係が改善することもある。





そういう心の変化を聞いたり目の当たりにした時、
いつも意識の表面にあってよく認識しているもの(イメージや感情や考え)だけで
物事を判断すると、
時に偏ってしまうこともあるのだということに気づく。





いつものものの見方、いつものやり方で行き詰った時は、
いつもと違うものを見て、いつもと違うやり方をしてみると、
頭の中が刺激されて、思いもよらない突破口が見つかるのかもしれない。





いつもは見ることのないアニメ番組を見たことで、
今日の私も、頭の中が刺激を受けてしまったようだ・・・






  *余談:
   
    「GO!GO!トリトン」を調べている時にわかったことだが・・・
    歌っている人は、「ヒデ夕樹(ヒデ・ユウキ)」という人らしいが、
    なんとー、日立のCM「この木何の木」を歌っている人と同一人物なのだそうだ。
    
    他にも「快傑ライオン丸」~風よ光よ とか、「人造人間キカイダー」とか・・・。
    (年がばれる)
    子ども心に「カッコイイなー」と思っていた歌声は、同一人物だったことを知り、
    今日は驚いた日でもあった。

    (男兄弟で育ったもんだから、こんなのばかり見ていました)

2006年06月03日

ゆるゆるコミュニケーション・ワーク

post9.jpg








ほころび始めた蕾はやがてゆるやかに開き…
/向ヶ丘遊園バラ苑:2005初夏






今日から、毎月第1土曜日(8月はお休み)開催の、
コミュニケーションにとてもとても苦手意識を持っている人たちのための
グループ体験学習がスタートした。


主催は、私もメンバーであるキャリアカウンセラーのグループ。
いままでも「再就職のためのコミュニケーション・スキルアップ講座」などをやってきたが、
もっと基礎的な部分に焦点を当てたワークショップは、
我々にとっても初めての開催だ。


目指したいゴールはあるものの、
実際にふたを開けてみたらどんな風になっていくのか、我々にもわからない。





ワークショップの名前は
「対人スキルアップセミナー」とお堅いのだが、
内容は、「ゆるゆる、ゆっくり」だ。


硬く小さな花の蕾が、
おだやかな日の光をそうっとそうっと浴びながら、
ゆっくりゆっくりと花びらをほころばせていくような、


ビックリして身を縮めたデンデンムシが、
そろりそろりと身を伸ばし、目を出し、
やがてゆっくりゆっくりと前進していくような・・・





本日初回は、「心と身体の緊張をほぐす」日。


心と身体は一体だ。
身体をゆるめることで、心もゆるむ。
心がゆるむと、身体もゆるむ。


体を動かしているうちに笑顔もこぼれ、ともに笑い、場が和やかになる。





互いを知り合う会話は充分に緊張が解けてから。

自分自身についての悩み、課題が語られる。


「これなら続けられそう」と帰り際のリラックスした姿。
次回の再会を約束して、笑顔で終了。





よかった。我々も「この調子でやっていけばよさそう」と手ごたえを感じる。





   対人緊張のある人や、自分に自信がない人などが、
   気楽にトライ&エラーをやれる場、


   まだまだ成長途上の自分の足りないところを責めるのではなく
   できたことを互いに喜び合える場、


   同じ悩みや思いを持つ人同士が本音で語り合える場…


   その人にとって安心できる居場所がもう一つできたと思える場…




そんな場になっていくようにと願う。





★「対人スキルアップセミナー」詳細

http://www.le-leve.com/2006workshop.pdf