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“つながり”を感じる見送り

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 それはまるで
 心の中に
 永遠に咲き続ける
 花のようなものかもしれない

 実家にて:2007年冬
 
 
 
新しい年が明けました。
ぽつりぽつりの更新ですが、
今年もよろしくお願いいたします。


昨年暮れに「交流分析メールマガジン第133号(2006/12/28)」に書いたコラム、
読者の方々から反響がありました。

いただいた感想に、こちらも心が温かくなりました。

面識のないメルマガ編集者にメールを送るというのは、
結構エネルギーや勇気がいることではないかと思います。
それでも何か伝えずにはいられなかった方々がいた今回のコラム、
年が明けてしまいましたが、こちらにも転載しておきます。
 
 
 
 

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コラム:「“つながり”を感じる見送り」           
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 この一年、私にとっては“つながり”をテーマにした活動の模索の一年でし
 た。心と体、人と人、人と自然などの“つながり”について考えたり、実践
 したり、体験したりすることを意識して過ごしてきました。
 
 中でも人と人との間で“つながり感”を感じる体験っていいなぁと、あらた
 めて感じた一年でした。
 
 特に活動などの後に人を見送ったり自分が見送られたりする体験で、ほのぼ
 のすることが多かった気がします。
 
 
 
 今年は、自分の五感の感性を豊かにするため自然とのつながりを深めたいと
 思い、春から毎月1泊2日で自然学校に通い、自然観察や冒険的アウトドア
 活動をしてきました。
 
 講座生は私を含め、成人男女10名。かかわるスタッフは、固定した担当者が
 2名とプログラムにあわせてその都度別の講師もつきました。
 それ以外にもその自然学校にはスタッフが大勢いて、夜の食事時間に顔を出
 してくれたり、敷地で顔を合わせたら挨拶をするなどして、通ううちに少し
 ずつ顔見知りが増えていきました。
 
 スタッフの人たちは、自分がその講座の担当でなく私たちのことをあまり知
 らなくても、ほんとうによく挨拶をしてくれます。
 私たちが1泊2日の講座を終えて帰るときでも、近くにいて手が空いている
 スタッフが駐車場までやってきて、マイカーや送迎車で三々五々帰っていく
 私達を見送ってくれます。
 毎回それがなんともあたたかく、うれしい体験でした。
 
 
 
 スタッフだけではありません。
 帰るときは、たいがいマイカー組が先に出発することが多いので、送迎車組
 のメンバーもスタッフ達と一緒にマイカーメンバーを見送ります。
 私は送迎車組だったので、ほぼ毎回マイカーで先に帰るメンバーを他の人達
 と一緒に手を振って見送っていました。7~8名くらいが彼らを見送ります。
 次に送迎車が出発する時も、少なくとも2~3人のスタッフが手を振って見
 送ってくれます。
 
 わずかな時間ですが、心に残るシーンです。
 「いいなぁ、また来たいなぁ。またみんなに会いたいなぁ。」とその都度思
 います。
 
 私はその際、相手が見えなくなるまで両手を大きく振って見送ります。

 かつてそうやって見送ってもらったことがうれしく、今も心に残る体験があ
 るからです。
 
 
 
 それは、一時期よく通った信州のあるペンションで体験したことです。
 山の斜面のつづら折りの途中にあるペンションでした。
 私が帰るとき、オーナーやスタッフが、つづら折を下りきり私達の車の姿が
 見えなくなるまで、両手を振り続けて見送ってくれました。
 
 車の窓からはペンションが見えたり隠れたりするのですが、坂をかなり下っ
 て「もういないだろう」と思ってペンションの方向を見たら、まだずっと手
 を振り続けている彼らの姿がありました。それを見て、私はとても感激した
 のです。
 
 
 
 月1回の自然学校も回を重ねるごとにメンバー同士とても打ち解けてきまし
 たが、最初の頃は1ヶ月ぶりに会うと集合直後は軽い緊張感もありました。
 その緊張感を軽減し「次回会うのが楽しみ」という気持ちにさせるのを促進
 したのも、毎回互いに見送り見送られることをやったからではないかと、私
 は今までを振り返って考えています。
 
 
  
 今月、私は初めて自然学校を休みました。仕事との調整がどうしてもつかな
 かったのです。
 翌週、同じ場所で昼間から一日だけの忘年会があったので参加しました。
 私が参加している講座以外の方々もたくさん来ていました。
 大半の人は夜の部まで参加してから帰るか泊まるかというパターンでしたが、
 私は翌日早朝から仕事があったので、夕方に失礼することになっていました。
 
 夕方、昼の部が終わったきりのいいところで、来ていたメンバーやスタッフ
 に挨拶をして送迎車に向かいました。
 車に到着して後ろを振り返ると、そこには私を見送ろうとこちらに向かって
 歩いてくる講座生メンバーとその家族、担当スタッフなど、総勢10名ほどの
 姿があったのです!
 
 とてもうれしく、「仲間っていいなぁ~」としみじみ思いました。
 
 
 
 そしてなぜか、忘れていた子どもの頃の思い出がよみがえりました。
 そういえば、子どもの頃にも体験したな・・・と。
 
 正月や秋祭りのときなど、母方の親戚の集まりによく出かけました。
 祖父母のもとに母の兄弟家族だけでなく、多いときには祖父母の兄弟や、母
 のいとこなど、大勢の人が集いました。
 
 大人は大部屋で、子どもはテレビのある居間にわかれ、にぎやかに食事をし
 ました。時々大人の席のご馳走をねらいにいったら、酔った親戚につかまり
 「親の言うことは素直にきけないだろうから、代わりに言う」と説教された
 こともありました。
 
 小学生高学年くらいになると、準備や片付けに追われ台所にたむろしている
 女性陣の末席に入れてもらい、手伝ったりつまみ食いをしました。嫁姑の悩
 みや様々な世間話…。世代を超えてその時ならではの様々な会話がなされる
 様子は、子ども心にも興味津々でした。
 
 上に兄弟がいない私にとっては、いとこのお姉さん達と話をするのも楽しみ
 の一つでした。
 
 そうやって楽しい時間が過ぎて日が暮れてくると、ぽつりぽつりと帰る人た
 ちが出てきます。そうすると、誰かが帰るたびに、ほぼ全員に近い人たちが
 ワイワイガヤガヤと道端まで見送りに出るのです。そして、その人たちの姿
 や車が見えなくなるまで、ずーーっと見送るのです。
 
 自分が帰る番になったとき、いとこ達と別れるのが寂しくて泣きそうになっ
 たこともありました。
 
 でもそうやって見送られたことが、“つながり感”となって今も心の奥底で
 暖かさを保ち続けていることに、今回あらためて気がつきました。
 
 
 
 もうすぐお正月。
 帰省の折には、この見送りの儀式ともいえることを、いつも以上に意識して
 やってみようかなと思っています。
 
 みなさまも、よいお年をお迎え下さい。

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