写真展「南東写真紀行」
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写真と紀行文でお届けする、沖縄の風景。
会期:2006年11月1日(水)~11月30日(木)
会場:カフェ・ヴァリオ(東京都)
初めての個展でした。
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写真と紀行文でお届けする、沖縄の風景。
会期:2006年11月1日(水)~11月30日(木)
会場:カフェ・ヴァリオ(東京都)
初めての個展でした。
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展示作品の撮影場所:波照間島、久高島、石垣島、竹富島(作品数の多い順)
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非売品コーナー:波照間島のお祭り「ムシャーマ」
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まるでソーダ水のような水色の海。
その清々しさに感動した。
この水色、いつも見られるわけではない。
2004年、初めてここを訪れた時は、午後遅くかつ満潮時。
その時海は深い紺色をしていた。
この水色は、日差しが上から照りつける時間帯、
かつ干潮時に現れるのだと島人は教えてくれた。
日々海を見て、
潮の満ち引きとともに生きてきた人たちならではの観察力だ。
この日は、たまたまその条件がそろった。
限られた旅の日程の中で偶然そういう条件がそろうと、ラッキーと思う。
「Hateruma blue」 波照間島 2006年
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久高島を訪れたのは9月末だ。
私の暮らす神奈川県では、
そろそろ朝晩肌寒い日もあり、薄手の長袖を着始めていた。
この島でも薄手の長袖を着て自転車で周った。
ここでは「日焼け止め」のためだ。
天候に恵まれ、さんさんと、いや、ギラギラと真昼の太陽が照りつける。
汗がしたたり落ちる。
砕いたサンゴか白砂らしいその道は、日差しを浴びて、さらに真っ白に輝いている。
海は多彩なグリーンやブルーのグラデーションで、草木の緑も鮮やか、
そして、空はただただ青かった。
ロマンスロード(1) 久高島 2006年
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今も神への祈りとともに暮らしがある久高島へ、いつか渡ってみたかった。
琉球王国創世神話の島であり、神行事が今も色濃く残る島。
その神高さは、
八重山諸島における波照間島、沖縄本島における久高島
というようにたとえられると聞いたこともあったからだ。
今年、やっと上陸のチャンスを得た。
拝所か民家、どっちが多いのかわからないほど拝所のある集落は、
古き時代からの伝統を思わせる雰囲気が漂っていた一方、
島西海岸にある整備された「ロマンスロード」は、
いわゆる「今風」の観光スポットであった。
そこもまた美しい風景だった。
ロマンスロード(2) 久高島 2006年
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島中心部にある集落を外れると、
周囲を海に囲まれ他に光がない島は「本当の暗闇」に包まれる。
そして北回帰線まで数十kmに位置するので偏西風の影響を受けにくい。
つまりは、星座がわからないほど多くの、またたかない星(!)が空を埋めるのだ。
そんな環境だからこそ、
満天の星空の時は、星明りが夜の海をうすぼんやりと浮き上がらせると、
星に詳しい島人に聞いた。
この島で、満天の星空を見たい!
天の川をカメラに収めたい!
そんな思いで一眼レフデジカメを手に入れ、
ほぼ初めて星空を撮影した時の偶然の一枚。
稲光で光る雲が幻想的である。
「夜の海 -稲光と銀河-」 波照間島 2004年
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「神々のキャンバス」と同じ日、同じ場所である。
時間はこちらの方が少し早かったか。
小さな塊の雲が次々と夕日をさえぎる。
太陽の光とそれをさえぎる雲の影がすじのように伸びる様を「光芒」というが、
特に下向きにまるで光のカーテンが下りるような現象を
「天使のはしご」と呼ぶと聞いたことがある。
この日は幾すじもの天使のはしごが次々と変化して、光のドラマを演じていた。
それは時に海を、時に船を照らすのだった。
「夕照」 石垣島 2005年
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旅行会社のツアーのシステム上、この年は、
旅のどこかで石垣島にて1泊する必要があった。
ならば、最初に石垣島で滞在し、夕日を見に行こうと決めた。
免許は長年のペーパー。
レンタルのママチャリで、観音崎灯台を目指した。
日の入りを待つ間、八重山の島々の影に何度も天使のはしごが降りて、
なんとも幻想的であった。
こういう美しい風景の瞬間に出会う時、
「神様(宇宙や自然の創造主)」の存在を感じる。
「神々のキャンバス」 石垣島 2005年
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水面に近づいて撮ったように見えるが、
遠く見下ろして撮った風景の一部を切り取ったものだ。
島北西から西にかけての白砂で遠浅の浜辺と違い、ここ島南部は、
激しい外洋の波にたたかれ続けた断崖絶壁の姿を見せてくれる。
崖の端の方まで行って海を見下ろすと、足がすくむ。
それでも、あまりにも透明で、
水深によって様々な色あいを見せてくれる海の表情の魅力は、
時に魔物のように人を引き寄せる力がある。
ここで海亀を見たという人の話を聞いた。私も見てみたい・・・。
「SEA GREEN」 波照間島 2006年
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この島を訪れるのは3度目だが、まだペムチ浜には行ったことがなかった。
流れの速い外洋と接しているこの浜は遊泳禁止だ。
そんなこともあり、人影は誰一人として見当たらない。
そういう静かな場所で、ぼんやりと波の音を聞き続けるのも、
この島での過ごし方としては悪くない。
ちょうどはまゆうが咲いていた。
間近に見たのは初めてだ。
白い花びらに赤い雄しべ。
その花だけに、まるでスポットライトをあてたように光が差していた。
波の音だけが聞こえていた。
「はまゆう -ペムチ浜-」 波照間島 2006年
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潮の流れの関係で、なぜか決まってそこにだけ
サンゴが大量に打ち上げられる浜辺がある。
訪れるたびに、その年のそれまでの台風の大波などの影響で、
打ち上げられて積もったサンゴの浜は、斜面の角度が違うから面白い。
サンゴの量も年によって違う。
そこへ一歩踏み入ると、歩みを進めるたびに、
靴の下でカラリカラリと金属音のような乾いた独特の音がする。
とてもとても小さな浜だが、
やどかりたちと一緒にそこに座って
夕日が海に沈んでいくのを見るのもまたよい。
「やどかり -サンゴの浜-」 波照間島 2006年
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去年、初めて水平線に日が沈むのを見て感動したが、
今年は、本当にわずかではあるが、最後の最後で雲にさえぎられてしまった。
それでも、水平線ギリギリまで姿を見せながら
徐々に見えなくなっていく夕日の最後の瞬間は、とても感動的だ。
水平線に日が沈む瞬間は島に暮らしていてもめったに見られるものではないと、
元星空観測タワーの解説員だった島人が教えてくれた。
毎日のように空を観察していた人でさえ、そうなのだ。
あらためて去年の体験がいかに貴重なものだったかがわかる。
「見守る瞬間」 波照間島 2006年
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この日は、ムシャーマ(豊作祈願と先祖供養の祭)の
リハーサルの日だった。
島の人々にとっては、日々の暮らしの中の一日でしかなく、
またリハーサルであわただしい日。
夕食時とも重なり、ニシ浜でこの夕日を眺めている観光客もまばら。
夕日マニアの私は、宿の食堂で「早く食べたら日没に間に合う!」と
夕食を大急ぎでかきこんで浜に向かったのだった。
そして・・・、人生で初めて、水平線に沈む夕日をナマで見た。
八重山の神様に感謝の思いで一杯だった。
「二人の思い出」 波照間島 2005年
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この夏、島の祭の旅から帰った翌日から、
3泊4日でキャンプスタッフのボランティアが待っていた。
それも楽しみではあったが、
旅の疲れが取れないまま参加するのは、本音ではきつかった。
そんな折、三つ巴の台風接近!
一緒に来ていた先輩は予定を早め、
同じ動きをする人たちの混雑の中、丸1日かけて自宅へと戻った。
一方私は・・・、延泊、台風を島でやり過ごす方を選んだ。
台風一過、清々しい日に見たニシ浜は、
三度目の正直!と言いたいくらい、今までで最高の色を見せてくれた。
延泊万歳!
「VIVA! ニシ浜!」 波照間島 2006年
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島の朝の光のドラマをどこで撮ろうか?
酒びたしになった頭はよく回らない。
ともかく、集落を抜けよう、そして、なぜか高台に登ろうと考えが働いた。
思いついたのは昔通信のためののろしを上げたという
人工的に石を積み上げた高台、コート盛。
とにかく、そっちの方向へ向かい、
心の赴くままにシャッターをきったことだけは覚えている。
だがこの風景は、いったいどこだったのか?
その場ですぐメモしておかないと、
酔った頭に記憶させるのはムリな話であった。
「夜明け(1)」 波照間島 2006年
(後に、島の集落以東だと確認)
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旅人や島人たちとの話は延々と続く。
時に大笑いし、時にひざを突き合わせてマジメな討議をしてみたり、
そうかと思えば、たわいのない話だったり・・・。
そうしてあっという間に夜が更ける。
いや、夜が明けてくる。
この日もかすかな記憶をたどると、4時前後まで飲んでいた。
そのまま少し起きていたが、空がどんどん明るくなってきたので、
今まで撮影したことのない「島の朝」の風景を撮りに、酔っ払った足取りで外に出た。
サトウキビ畑のシルエットが美しかった。
「夜明け(2)」 波照間島 2006年
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