津堅島遠景
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9月下旬、沖縄本島での3日間の勉強会、
沖縄離島の伝統芸能、そして神行事と祈りについての講座に参加した。
ついでに久高島、南部の湧き水巡り、
世界遺産である斎場御嶽(せーふぁうたき)と
琉球王朝の保養所だった識名園を訪れた。
観光初日はまず久高島に渡ることにしたが、
出航まで時間がかなりあったので、
ガイドをしてくれた知人の車で東の海が見える高台に登った。
いい天気だ。
遠くに津賢島(つけんじま)が見えた。
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9月下旬、沖縄本島での3日間の勉強会、
沖縄離島の伝統芸能、そして神行事と祈りについての講座に参加した。
ついでに久高島、南部の湧き水巡り、
世界遺産である斎場御嶽(せーふぁうたき)と
琉球王朝の保養所だった識名園を訪れた。
観光初日はまず久高島に渡ることにしたが、
出航まで時間がかなりあったので、
ガイドをしてくれた知人の車で東の海が見える高台に登った。
いい天気だ。
遠くに津賢島(つけんじま)が見えた。
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知念岬公園から久高島を見る。
午前中の日差しで海が銀色に輝いていた。
沖縄開闢(かいびゃく)の祖アマミキヨが最初に君臨したという神話の島。
その島の向こうから朝日が昇るのを見たら、きっと感激することだろう・・・。
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海が青い・・・
絶景のロケーションだ。
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知念岬公園のあずま屋より。
これから渡る島へ思いをはせる。
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安座真港からいよいよ船で久高島へ。
斎場御嶽(せーふぁうたき)が遠くに見える。
スピリチュアルな世界に興味がある人から見ると聖なる場所だが、
自然に興味がある人から見たら、見事な断層、地球の活動の証だ。
どちらにしても感激する。
沖縄紹介サイト「美ら島物語」によると、あの三角の独特の形で有名な洞門は、
約1万5千年前におこった地震の断層のズレからできたと言われているのだそうだ。
http://www.churashima.net/shima/okinawa/isan/20010301/05.html
写真でも、山の斜面が丸ごとズレ落ちているのがよくわかる。
久高島へのアクセス:安座真港より
1日6往復、高速船ニュー久高(約15分)、フェリーくだか(約20分)
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波しぶきを上げながら青い海を進む船は、
途中、ジャンプするトビウオたちの群れの歓迎を受けながら、
あっという間に久高島の港に着いた。
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安座真港でもらった島の案内図には、こう書かれてあった。
久高殿
百名白樽とその娘久高島祝女の多留加那が天神地祇を祭り、
島の繁栄を祈った所である。
久高祝女と久高根人が祭主で
外間殿とおなじく午年毎に行われたイザイホー祭の祭場であった。
*百名白樽(ひゃくなのしろたる):
久高島の祖先。
久高祝女(ノロ):
外間祝女(ホカマノロ)と並んで、島の祭祀を取り仕切る立場であるクニガミの
最高位にあたる人。世襲制。
久高根人:
ネットで検索すると「ねっちゅ、ねんちゅ、にいちゅ」などいろいろな読み方があるようだが、
この島ではなんと呼ぶのだろう?
久高ノロ、外間ノロと対になっている男神の1人。
*久高島ホームページ:http://www.kudakajima.jp/
イザイホーの消滅までの経過を知るにあたり、下記論文が参考になりました。
記録されたイザイホー-画像から見た祭祀状況と聖域の変容-
齋藤ミチ子(國學院大學日本文化研究所助教授)
http://www2.kokugakuin.ac.jp/frontier/publication/bulletin1_12.pdf
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もう少し近寄ってみた。
真ん中の建物の中には、扇風機が2台置いてあった。
神行事があったのか、または、近いうち行われるのか?
左端の小屋は、エラブー(海蛇)の燻製小屋。
そばに寄るとかすかに煙の匂いがした。
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港そばのレンタサイクル店で自転車を借りていたので、
先に集落の外を回ることにする。
集落を外れてすぐに目に入ってきたのが、パパイヤの花。
可憐だ。
この日の沖縄の気温は30度弱。
見上げると空も青い。
本土から来た人間にとっては、ここはまだ夏だ。
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まずは、西海岸沿いの道を走る。
防風林のところどころに、海岸に出られる細い道がある。
自転車を止めてその道を行くと、
エメラルドグリーンの海が現れた!
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背丈3m以上はあるハイビスカスの木。
風が通り過ぎるたび、たくさんの赤い花を揺らしていた。
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島の西側で井戸を4~5ヶ所見かけた。
しかもそれらは島の南半分にある。
水のあるところに人は集まり、やがて集落ができる。
なるほど、とうなずける。
井戸のたいていは、島の端の崖を下る人工的な階段がつけられてあったが、
中には岩壁ごと崩落して井戸までたどり着けなかった場所もあった。
人工的な祭壇のようなものがあった井戸も見かけたが、
現代でもまだ使われているのだろうか?
ヤグルガーには柄杓が置いてあった。
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ヤグルガーは、久高島のホームページによると
神人が禊(みそぎ)に使う神聖な井戸らしい。
島東海岸にある「いしき浜」に五穀の入った壷が流れついた時にも
この井戸で禊をしてからそれを拾ったという伝説があるという。
ここでなぜかほぼ同じアングルで3枚の写真を撮ったのだが、
上の緑の草のあたりにモヤがかかったように見えるものが、
3枚とも違うことに気がついた。
これって、いったい・・・?
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安座真港でもらった島案内図から、また引用する。
クボーウタキ
沖縄の七嶽の一つで、最高の霊地で男子禁制である。
ピーマティー、マブッチ祭、ヒーサチ、八月祭、フバヤクの祭などが行われる。
たとえ女人であっても観光客も立ち入り禁止である。
実は、今年の八月祭が翌日から行われるらしいという情報は得ていた。
興味はあったが今回は日帰り。
明日夕方早い時間の飛行機に乗らねばならない。
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一眼レフデジカメの露出がおかしかったのだろうか?
それとも?・・・またモヤが現れてしまった。
去年の夏、八重山の離島のお盆祭りで知り合いのしまんちゅの写真を撮ったら、
やっぱりモヤに包まれた写真が何枚かあった。
その人は、お父さんを亡くしてちょうど3回目のお盆だった・・・。
霊感って、全くないんだけれど。
考えすぎ?
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ウタキの入り口を撮った写真を拡大してトリミングしてみた。
奥のほうへと続く木漏れ日の道が見える。
この奥で、神への祈りが捧げられているのだと思うと、
かしこまった気持ちになる。
少し離れて周囲を見ると、ただ延々と道沿いに続く林の一部にしか見えない。
そのギャップが、秘密めいていてよけいに神秘的だ。
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どこまでも続く、コンクリートの道。
青空と手付かずの緑の自然には、
アスファルトの黒より、こんな明るい色の道がよく似合う。
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轍(わだち)が延々と続く道は、なぜか懐かしい。
子どものころ遊んだ田んぼのあぜ道を思い出す。
轍に限らず、日本アルプスの縦走路などずっと先まで見渡せる道に出会うと
「この道の先には何があるのだろう?」と、
いつも好奇心をそそられる。
気が済むまでずっとずっと先まで行ってみたくなる。
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島を北上して2/3のあたりにあるロマンスロードまで、
あっという間に来てしまった。
絶景!である。
あずま屋で休憩しておやつタイムとする。
あぁ…、潮風に吹かれて、波の音を聞きながら、
このまま昼寝でもしてみたい…。
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ロマンスロードのあずま屋近辺で撮影。
風が強いが、見た感じ、波はおだやかだ。
アダンの葉が美しい。
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美しさにため息がもれる・・・
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風が強い。
岩に当たった波は、波しぶきを上げた。
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沖縄本島に夕日が沈んでいくのを見るのもよさそうな場所。
実際、そうした人が何人もいるらしく、
空き缶や空ペットボトルが岩場に落ちているのが悲しい。
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モンパの木の緑色が鮮やか。
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風を感じながら自転車で走るのも気持ちがいいけれど、
ゆっくりと散策するのもよさそう。
真昼はちよっと暑いかな?
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ヤシの木陰が涼しそう。
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島のホームページのロマンスロード紹介文に
「階段を降りると、そこはステキなビーチです」
と書かれているビーチでしょう、きっと。
風が強くて海底の砂がかき混ぜられて、
海は少しにごっていたけれど、
それでも「きれい~」と思ってしまうのだった。
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ビーチを他の角度から眺めた風景。
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ロマンスロードから島の中心を走る道へと合流し、
またしばらくひたすらまっすぐに北を目指す。
アダンやクバの木の林が続く。
真昼の太陽をさえぎるものは頭上にない。
(自動販売機もトイレも、人工的なものもほとんどない)
白い砂利道がまぶしい。
途中、「カベール社」とかいう小さな案内板があった。
自転車に乗ったまま草木の陰に見つけたのではっきりとは覚えていないが、
そこも何か聖地なのかもしれない。
ほどなくすると、島の北端カベール岬の海が見えてきた!
「わぁ~!海!海!」と思わず声を上げる。
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島のホームページには、「はびゃーん(カベール)」と書かれている。
岬の浜には、昔琉球の祖神アマミキヨが降り立ったとされる。
また竜宮神が祭られている聖地で、
その姿はタティマンヌワカグラーという二頭の白い馬に象徴されるらしい。
(竜宮神はここと、徳仁港の前のフシマというところにも祭られている。)
岡本太郎著「沖縄文化論」によると、
カベール岬にある拝所はターキビシというのだと、
帰宅して旅の復習をしたときに知った。(10月6日記)
はて、拝所はどこだったのだろう?
気づかないままその地を歩き回っていたならば、
竜神様、そして島のみなさま、ごめんなさい。
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旧暦の1月のヒーサチという日には、
この岬で一年の大漁祈願が行われるそうだ。
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風向きや地形の違いだろう、
西海岸で見た波の表情とはまた違った海の姿だ。
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薄紫色の小花と葉っぱが、
きれいな十字を形作っていた。
ここは「カベール植物群落」と言われているように、
様々な植物がバラエティ豊かに生きている。
岬入り口にある植物群落紹介の看板には、こんな風に書かれていた。
「ここにはアダンやオキナワシャリンバイが優占する
風衝植物群落(なんだろう??)が発達しています。
亜高木層、低木層、草本層の3つの階層が認められ、
学術上貴重で、自然を記念するものとして
沖縄県の天然記念物に指定されました。」
要するに、草、低木、からそこそこ背の高い木までが共存し、
自然が「豊かだ」ということなのでしょう。
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波や雨風が作り出す自然の造形は、美しい。
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ここで、ずっと波の音を聞いているのも
きっと心地よいことだろう。
女性が1人、サンゴの岩に腰掛けて、
波のかなたをじっと見つめていた。
絵になっていた。
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カーベル岬から来た一本道を南へと引き返す。
真昼の太陽が暑い。
木陰を求めながら自転車をこいでいるうちに、
いつのまにか、星砂の浜を通り越し、
巨木の前にベンチが置いてある場所(たぶんそこが貝塚)も通り越し、
イシキ浜の入り口に着いた。
昔、五穀の入った壷が流れ着いた浜だ。
島のホームページによると、シマリバー(女神)とアカツミー(男神)が
拾い上げたとされている。
伝説や沖縄に関する文献によると
沖縄の祖先、五穀・稲作の沖縄各地への伝播、
これら両方ともが久高島から始まったのだという。
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久高島には、カベール植物群落ともう一箇所、
イシキ浜の植物群落への道しるべもあった。
グンバイヒルガオの絨毯、
生長して絡み合ったモンパの木やアダンの木の幹。
どこの浜降り口か忘れたが、
長年風雨にさらされて異様なまでに幹が曲がりくねったアダンの巨木の林も見た。
迫力があった。
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どこの浜降り口だったろうか?
イシキ浜とピザ浜の間、島のホームページの地図にある地名だと、タチ浜か?
メモをしておかないと、すぐに忘れてしまう。
注意して見ていると、
島のいたるところに拝所や香炉らしきものを見ることができる。
イシキ浜には、浜辺に拝所らしきものがあった。
島のいたるところに神様がいらっしゃるってことなんだろうな。
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海を背にして陸地をみたところ。
この林の向こうに、林と平行して、
島を縦断する東海岸端の道がずっと続いている。
道側から見たら、ずっと林に沿った道を集落に向かうのだが、
時々、ぽっと浜降り口がある。
そこから林を東に抜けると、ニライカナイがあると言われる海が果てしなく広がっている。
島のホームページによると、イシキ浜が、ニライカナイの対岸なのだそうだ。
ニライカナイからの来訪神が島に訪れるときに停泊するとされている浜だとか。
このあたりの海岸は、歴史のロマンを感じる。
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木陰の石に腰掛けて海を眺める。
グンバイヒルガオもさすがにしぼみ始めた。
東海岸は、リーフにぶつかる白波がよく見えた。
西海岸とはまた違った表情をしていた。
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ピザ浜から見た島の東側海岸線。
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一度港まで戻ってきて自転車を返そうかとも考えたが、
まだ1時間半ほどある(4時間借りた)。
港の自動販売機で水分補給&トイレを済ませて、
今度は集落と集落近辺を回ることにした時、
徳仁港と漁港の間のどこかで撮影。
多分、イラブーガマの西側、メーギ浜あたりだと思うのだけれど・・・
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こうも日差しが暑いと、
ネコだって昼間は日陰に退避ニャのだ~。
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気の向くままに集落内をめぐる。
ここは、外間殿。
島のホームページの外間殿紹介コーナーによると
御殿庭(ウドゥンミャー)と並ぶ島の二大祭場の一つです。
ミウプグイミンナカと呼ばれる大香炉が置かれていて、
各家庭にある香炉の親分にあたります。
琉球全体にとっても、とても重要なものです。
天、太陽、月、竜宮、国づくり、植物、健康の神様が祀ってあります。
左にある建物は西威王の産屋跡だそうです。
とのこと。
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拝所が軒を並べている。
左から、西銘拝所(地図と照らし合わせると2軒あわせてだと思う・・・)、
外間殿と思われる。
外間殿の前の広場に50cmほどの石垣で囲まれたところに木が生えていたが、
そこにもまた香炉らしきものがあった。
そしてまた、写真左手前の石垣の内側にも、
白い拝所が建っていた。
それの裏手にあたる西銘拝所左隣には、イチャリ拝所がある。
この近辺の至るところで、拝所らしき場所を見ることができる。
ここはたとえて言うならば、拝所銀座である。
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わかりにくいのだけれど・・・
画面中央の少し右、木々の間に見える白い壁が、
拝所らしき建物のように見えた。
が、地図と照らし合わせると、道の曲がり具合からすると
手前の土地がそれだったかもしれない。
でも、記憶では、そこには建物はなかったような気がするのだけれど・・・??
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島のホームページ、イチャリ拝所紹介コーナーによると、
古いムトゥ家の一つ。今は誰も住んでいない。
アマミキヨが島建てのときに使ったと言われる棒が祀られている。
ということらしい。
入り口に植えてある木の葉の色が鮮やかで、
独特な門構えになっている。
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集落内を自転車で周っていると、
沖縄の伝統的建築物に詳しくない私でも気がつくほど
立派な石垣のお宅が何ヶ所かにあった。
石の切り方、積み方がとにかく丁寧なのだ。
左手の石垣が外間ノロのお宅のものと思われる。
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まだ見ていないところがあるねということで、
大里拝所へと向かう。
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長さ20cmほどもある大きな葉の葉脈が、
あまりにも美しかったから・・・
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ホウの木といえば、本土では春に芽吹く木だが、
なぜかここ沖縄では今頃芽吹いている。
春と秋の初め頃、年2回新芽を出すのだそうだ。
ってことは、年2回落葉するってことだろうか?
気候が違えば、木の生き方もこんなに違うものなのかと思うと不思議である。
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おそめの沖縄そばの昼食を終え、自転車を返してから、
船の時間まであらためて徒歩で集落を周る。
島のホームページから解説をそのまま引用する。
「御殿庭」
ウドゥンミャー。久高殿とも呼ばれます。
イザイホーの舞台となった場所、ウプグイと並ぶ二大祭場の一つです。
久高島の始祖シラタルとタルガナーが
天地の神々を祀ってこの島の繁栄を祈った場所だそう。
左側(画像奥)の建物はタルガナーと呼ばれ、
イラブーの薫製小屋になっています。
中央は神アシャギ、イザイホーの時、神の世界とこの世の境界となります。
右(画像手前)の建物はシラタル宮。
神アシャギの奥の森は聖域です。入ってはいけません。
「神の世界とこの世の境界」
・・・入ることのできるカミンチュたちのみぞ知る世界なのかもしれない。
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もらった地図に書かれていてまだ周っていなかった
「下茂拝所」に行く。
入り口が奥まったところにあり、
道路からは裏しか見えない。
戸も閉まっていたせいもあり、ひっそりとしている印象だった。
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外間殿遠景左側に見える
石垣と木で囲まれた場所の入り口に回ってみたところ。
地図では空家の表示であったが、
家はなく、あまり年月が経っていない新しい感じの拝所が建っていた。
古くなったものを建て替えたのだろうか?
それとも新たに建てたのだろうか?
…徒歩でノロのお宅あたりから
あらためて久高殿、外間殿周辺を中心に周ってみると、
自転車では見落としていた拝所や香炉がたくさん目に付いた。
歩いてみて初めて実感した。
この島にノロを頂点とした祈りの組織、しきたりがあったということに、
いや、今も受け継がれているものがあるということに。
清潔を保たれた拝所、活けられている生花などから、
今も暮らしの中に祈りが、神様への思いが息づいていることがよくわかった。
実感できた瞬間に、心臓がドキドキし、鳥肌が立った。
ここは、ある意味、すごい島だ。
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島のホームページからはんちゃたい紹介コーナーを引用。
「はんちゃたい」
神の畑。むかし、稲を植えていたという話も聞きます。
片隅にテンヌジョウとよばれる石があり、
これは天と地を繋ぐものだと言われています。
八月に行われるテーラーガーミのとき、
男達が太陽の力を受けて行う祓い清めの行進がここからスタートします。
そんな場所とはつゆ知らず。戻って調べて驚く。
集落で時々見かけていたコンクリート瓦が珍しかったのと、
この周囲のお宅も立派な石垣だったのと、
集落をめぐっていると時々突然現れる小さな広場が不思議に思ったので、
ふとシャッターを切りたくなったのだった。
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行きはフェリーで来たが、帰りは80円追加を支払い、
高速船で安座真港に戻ることに。
正味4時間半ほどの滞在であったが、
アップした写真以外にいろいろなものを見、また出会った。
石垣だけが残る草むした屋敷跡。
朽ちかけた廃屋。
神様のものとして平等に分けられたものの、
もう耕すことをやめてしまったのであろう畑の痕跡。
驚くほどいたるところに存在する拝所、香炉。
元気に遊び、人懐こく話しかけてくる子ども達。
親切に道を教えてくれたおじいさん。
神の息のかかった手つかずの自然。
畏敬の念さえおぼえる、古木の林。
海ぶどう養殖所から絶え間なく聞こえてくるモーターの音。
時の流れとともに変わっていくものもあれば、ずっと変わらないものもある…。
人とは、何を心のよりどころにして生きていくのか、
後世のために今生きている我々は何を大切にして生きていけばよいのか…。
いろいろと考えさせられる旅だった。
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ウィキペディア(2006年10月10日現在)によると、
15世紀-16世紀の琉球王国・尚真王時代の御嶽であるとされている。
2000年11月首里城跡などとともに、
琉球王国のグスク及び関連遺産群として
ユネスコの世界遺産(文化遺産)にも登録されている。
とのこと。
沖縄本島に行くなら、いつかここを訪れたいと思っていたが、
今回それを実行した。
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かつて、これより先は、
男子(王府関係者以外)と庶民は立ち入り禁止だったので、
この入り口に置かれた6つの香炉で参拝を済ませたという。
(2段目の階段の右側の6つの四角い石)
6つの香炉は、6つの聖地を意味していると聞いた。
斎場御嶽の案内板に示された6つの場所の名前がそれにあたると推測すると、
それは、
「大庫理(うふぐーい)」
「寄満(ユインチ)」
「貴婦人様御休み所」にある2つの壷
「シキヨダユルアマガヌビー」「アマダユルアシカヌビー」、
岩が作った三角の隙間で有名な「三庫裏(さんぐーい)」 、
その奥右側にある「チョウノハナ」の拝所
だと思われる。
ん?しかし、そうすると、三庫裏の奥左側にある久高島遥拝の場所は含まれないのだろうか?
また、ウローカー(みそぎのための泉)は??
ネットで調べたが、今日現在不明である。
予備知識なしで訪れたので、復習しても勉強不足である。
詳しい方がいらっしゃったら、ご指導お願いいたします。
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生い茂った木々の向こうに、久高島がかろうじて見える。
昔、木がもっと低かった頃は、
庶民の人々は、ここから久高島を拝んだのだろうか・・・。
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この石畳の先に、いくつもの拝所がある。
途中、前から20人強の団体さんが下ってきて、
その中の1人が知人に話しかける。
どうも知り合いらしい。
聞くところによると、「門中でやってきた」のだという。
「門中(同じ先祖をもつ父系の血縁集団:父方の親戚)」という言葉、
沖縄のことについて関心を持ってから何度か聞いたことがあったが、
本当に親戚一同、老若男女がそこにいた。
こうやって、親戚一同で動くことって、
私の親戚は、もう法事のときくらいしかない。
子どものころは、秋祭りなどに集まっては
毎年集合写真を撮ったりもしていたが・・・。
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大庫理(うふぐーい)は、
首里城正殿二階にあり祭祀的機能を持つ部屋と名前を同じくする。
この場所で、
琉球王国最高位の女神官といわれる聞得大君(きこえおおぎみ)の
「お名付け(霊威づけ)」の儀式が行われたのも意味深い。
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画面中央からやや左、
岩の上から下へ向かって、岩肌に這うようにして地面まで降りてきているのは、
「根」である。
よほど岩盤が固いのだろうか。
地面に到着してなお地中深く、水分や養分を求めている姿だ。
岩の高さは、3mほどあっただろうか・・・。
その岩の上に伸びて緑の葉のついた枝を広げているのが「幹」である。
なんとも生命力あふれる姿だ。
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奇満(ゆいんち)もまた、
大庫理と同じく首里城正殿の中に同じ名前が存在する。
国王のための食事を作る「厨房」なのだそうだ。
「豊穣の寄り満つる所」という意味合いの言葉のようだ。
ここには第2次大戦前までは、
その年の吉兆を占う馬の形をした石(うまぐゎーいし)というものが
置かれていたらしい。
確かこの近辺だったと思うが、
直径4m前後(記憶があいまい)の丸い池がある。
そこは、先の戦争で爆弾が落ちた痕なのだそうだ。
60年以上経った今も残っているからすごい。
そして、よくもまぁ、この御嶽が爆弾の雨で破壊されずにすんだものだと
感心してしまった。
いや、感動・・・、かもしれない。
神聖な場所には爆弾から難を逃れる不思議な力が働いたのだろうか?
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かなりブレてしまっているが、紹介したくて。
ここには、こういった自然が作り出すなんとも不思議な「奇岩」の風景が
あちこちに見られる。
午後もかなり過ぎ、傾きかけた太陽の光が差し込み、
これがまた幻想的かつ神秘的な雰囲気をかもし出すのであった。
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左の壷はアマダユルアシカヌビー、右の壷はシキヨダユルアマガヌビー
と呼ばれている。
それぞれ、上から垂れ下がる鍾乳石から滴り落ちる水を受けるためにおいてある。
その水で、
中城御殿(ナカグスク・ウドゥン、国王の息子)、聞得大君(キコエオオギミ)の
吉兆を占うとともに(どっちがどっちの壷だろう?)、
正月の若水とりの儀式にも使われた霊水だそうだ。
のぞいてみたら、このところ雨が降っていないらしく、空っぽだった。
ここは、鍾乳石のつららが洞窟などではなく外にあるのも珍しいと思った。
参考までに、
この壷の置かれている場所の向こう側に石が並べられているところは
「貴婦人様御休み所」。
その向こうに見えている、人が立っているあたりの岩の裂け目が「三角岩」だ。
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先ほどと反対の場所から見たところ。
人と比較すると、その鍾乳石や岩場の大きさがよくわかる。
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斎場御嶽といえば、この三角岩の写真というくらい有名な場所。
画面中央よりの右下、大きな岩の下に楕円形の石が横向けに挟まり
その手前に石を並べてあるところが、「貴婦人様御休み所」といわれる場所だ。
石で囲まれた2m四方ほどのこの場所で、どんな女性達が一休みしたのだろう。
ところで・・・
この地形、手つかずの自然の植生なども、とても貴重なものだと私は思うが、
実は、この斎場御嶽、
「琉球王国のグスク及び関連遺産郡」として、2000年12月に
文化遺産の世界遺産として登録されたという。
世界遺産は、建築物、遺跡などの「文化遺産」の他に、地形や生物、景観などの
「自然遺産」、両方の要素をもつ「複合遺産」の3つに分類されるそうだ。
ここ斎場御嶽は、「複合遺産」といったほうがいいと思うのだけれどなぁ・・・。
「グスク」がメインだからこうなってしまったのだろうか・・・。
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貴婦人御休み所を正面から見たところ。
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三角岩の中から、向こう側の突き当たり「三庫理(さんぐーい)」を見る。
三角岩の中も、三庫理にもきれいな石畳が敷かれてある。
この三角の隙間は、とてつもなく大きい。
正面に見える三庫理の岩壁の高さは、成人女性の背丈の2倍ほどだ。
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沖縄の始まりの神話のある久高島を見ることのできるこの場所には、
どんなにか立派な祭壇か香炉か何かがあるのだろうと思っていたら、
まったくそうではなかった。
チョウノハナ拝所の香炉は、
三庫埋(さんぐーい)の神聖かつシンプルでありながらダイナミックな空間にあって、
まるでそれとは違う静かなオーラを出しているかのように、
右側の岩壁のふもとに控えめに存在していた。
「原初的なものの方が神高い」と聞いたことがある。
そういう意味では、ここもまた、非常に神高いといえるのかもしれない。
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岩肌にしがみつくように生えている植物達の生命力を感じる。
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この空間で、あの島を見ると、
本当に神秘的な気持ちになる。
写真には撮らなかったが、
この方角の足元のところにも、ちゃんと香炉があった。
下り道、御門口(うじょーぐち)まで戻って、
ウローカーというみそぎの泉を見に行こうとしたが、
木が倒れ、道が荒れ放題だったのであきらめた。
世界遺産なのだから、もうすこし整備も必要だと思った。
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手前がニライ橋、海に近いほうがカナイ橋。
この丘の高台に橋と海を見下ろせる展望台がある。
そこから見た風景は絶景!!
久高島や白い砂浜の小さな無人島コマカ島が見える。
いい風だ・・・。
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ニライ橋・カナイ橋が見える展望台より。
コマカ島は周囲800mほどしかない小さな無人島らしい。
島に渡ることは可能だとか。
パラソル持参で、白い砂のビーチでのんびりするのもよさそう。
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知念半島の近くにある自衛隊駐屯地そば。
ニライ橋・カナイ橋と海が見下ろせる展望台で、
後ろを振り向くと、風力発電の風車が大きく見える。
これから南部の湧き水めぐりに向かうため、
その横を通過したときに撮影。
なぜか好きなんだ、この風車が回っているところ。